石巻日日新聞

コバルトーレ女川 12年目で開けたJFLの扉

険しい道も地域とともに いざ〝J〟の舞台へ(上)

女川町 スポーツ 近江 瞬 11月30日(木) 14時34分
平成18年の発足当初の選手たち。前列左から3人目には高校卒業したてで現エースの吉田圭がいる

 人口7千人に満たない女川町を本拠地とするサッカーチームのコバルトーレ女川。今月24―26日の全国地域チャンピオンズリーグ2017決勝ラウンドで1位となり、日本サッカーアマチュア最高峰の舞台であるJFL(日本フットボールリーグ)への昇格権をつかんだ。全国からサッカーをするために集まった若者たちが、小さな港町に起こした奇跡だ。創設12年目に鳴った歓喜へのホイッスルは「こんな田舎町でサッカーなんて」という町民たちの言葉から始まった。チームと地域の軌跡を振り返るとともに、今後の課題を探る。

 魚の水揚げとともにウミネコが空を舞う港町女川に平成18年4月、コバルトーレは産声を上げた。掲げたのはスポーツを通じた魅力的な街づくりを目指す「女川スポーツコミュニティー構想」だ。

 だが、町民たちの当初の反応は「歓迎」より「戸惑い」が多かった。高齢化が進む地域の中で、サッカーは知っていても縁遠いスポーツ。ましてや女川から「プロリーグ加入を目指す」というビジョンは、果てしない夢物語のように聞こえていたに違いない。

 「女川の地名は初めて聞きました」。初代指揮官に元日本代表主将の藤島信雄を招くと、全国からサッカーを愛する若者が縁もゆかりもない女川の地を踏み、仲間に加わった。選手たちは日中、正社員として協力企業で働き、夜は女川町総合運動公園のグラウンドで毎日毎日、ひたむきにボールを追い続けた。

 日本サッカー界は市民、県、地域(1部、2部)、JFL、J3、J2、J1の約7―8カテゴリーに分かれており、J3以上がプロリーグ。発足したてのコバルトーレは当然、市民リーグからスタートした。すると18戦全勝127得点4失点の圧倒的な強さで翌年には県リーグに昇格。次第に、普段は同じ職場で働く息子のような選手たちを応援しようと会場に足を運ぶ町民も増え、それと同じくしてチームもまた町民に親しまれていった。

 県リーグも優勝し、東北リーグ2部南では2季目で優勝。昇格した東北1部での挑戦が始まった。しかし壁は厚く、最下位の8位となり降格。「もう一度チームを作り直さなくては」と再び一丸となって歩み出した矢先、新シーズンの開幕を直前に悲劇が町を襲った。東日本大震災が起きた。

◇震災で活動は一時休止 募るサッカーへの思い

 選手は全員無事だったが、チーム寮は全壊。クラブハウスがあったビルは横倒しになり、チームを応援するメガホンは鉄骨に吊るされ、むなしく揺れていた。選手が母親のように慕っていた人や、声援を送り続けてくれたたくさんの人々が犠牲になった。

 「チームを1年間活動休止にする」。運営会社社長の近江弘一は選手を集めて語った。「選手が一人でも犠牲になっていたら解散するつもりだった」と後になって当時の心境を吐露した。選択を迫られた選手たち。当時、選手兼監督だった中島礼司は「再開した時にチームを引っ張りたい」と1年間、女川を離れてプレーすることを決断。半数近くの選手は女川に残り、避難所などで給水作業や支援物資の配布などに奔走した。道は違っても、「女川のために」という気持ちは同じだった。

 がれきと汚泥が残る道を走り込み、小さな公園で小学生と一緒にボールを蹴った。「サッカーガデキル喜ビヲ体現セヨ」。試合で掲げられる横断幕の一つにあるこの言葉。震災の辛い経験を経て、第二の古里のために力を注いだこの時間が地域と、サッカーへの思いを強くした。

 休止からの再開を経て迎えた東北リーグ2部南の開幕戦。やがて災害公営住宅の整備に向けて解体される町陸上競技場には500人の町民がかけつけ、5―0で復活戦を飾ったチームを声援で後押しした。

 それから5年以上が過ぎた今季、東北の雄に成長したコバルトーレは東北1部を連覇。震災前から所属する成田星矢(31)と吉田圭(30)を中心に、悲願のJFL昇格へ2年連続2度目の大舞台である「全国地域チャンピオンズリーグ2017」に臨んだ。

東北2部南で初優勝した平成21年のイレブン
東北2部南で初優勝した平成21年のイレブン

最終更新:11月30日(木) 17時26分
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