社史
大正元年 | 石巻日日新聞社の前身、有限会社「東北日報社」(山川清社長)が、 石巻地方初の日刊紙(タブロイド版4ページ)を発行。 | |
---|---|---|
大正2年 | 株式会社「石巻日日新聞社」として再発足。 資本金4,000円。 | |
大正10年 | 同盟通信に加盟し、紙面を四×六版4ページに拡大。 石巻・桃生・牡鹿地方から県北部一円に紙勢を拡大。 野球団・石陽倶楽部を結成、事業部を置いて少年野球大会や石巻名産品人気投票、観光旅行、映画会や各種公演会を開催して好評を博す。 | |
昭和15年 | 報道・言論統制を強めた軍部と政府から、1県1紙の新聞統制による廃刊命令。 抵抗したが新聞用紙の配給差し止めにより10月31日、第8684号を以って廃刊。 | |
昭和23年 | 有限会社「石巻日日新聞社」として復刊。 復刊号は創刊以来の通算紙齢を継承し、第8685号とする。 | |
昭和26年 | 再び株式会社に改組。資本金100万円に。 週1~2回は4ページ建て発行。 | |
昭和28年 | 通算紙齢10,000号を達成。 | |
昭和29年 | 紙面をタブロイド版からブランケット版2ページ建てに拡大。 | |
昭和32年 | 社屋を増築し、写真製版設備を導入。紙面を一新。 | |
昭和34年 | 石日旗争奪少年野球大会の前身、第1回ジュニア杯少年野球大会を開催。 | |
昭和35年 | 本社を石巻市横町35番地(千石町)に新築移転。 東陽機械製作所のテープ式四六半載凸版自動印刷機を導入。 さらにモノタイプ鋳造機の導入により扁平活字を採用し、紙面を一新。 | |
昭和42年 | 紙面をブランケット版常時4ページ建て発行に拡充。 | |
昭和44年 | 資本金を800万円に増資。 通算紙齢15,000号を達成。 | |
昭和45年 | 資本金を1,600万円に増資。 | |
昭和46年 | 石巻市門脇字5番谷地88番地の1に社屋を新築移転。 オフセット輪転機(時速1万5千部)を導入。 | |
昭和49年 | 金曜日を6ページ建て発行に。 | |
昭和51年 | タイプレス入力により、鉛活字を一切使わないコールドタイプ方式を導入。 | |
昭和56年 | 株式会社発足30周年記念式典を開催。 | |
昭和57年 | 石巻市双葉町8番17号に新社屋を建設移転。 東京機械製作所製の高速オフット輪転機(時速3万部)を導入。 創刊70周年記念式典を挙行。 | |
昭和60年 | タウン誌「いしのまき・らいふ」を無料配布開始。 | |
昭和61年 | 電動タイプレス並びに自動製版カメラ等を導入。活字を大型化。 創刊75周年記念式典。 通算紙齢20,000号を達成。 記念事業として「石巻の大正・昭和~ふるさとと歩んだ石巻日日新聞社の75年」を出版。 | |
平成4年 | 本紙創刊80周年記念式典挙行。 制作システムに電子編集組版機等を導入。 | |
平成8年 | 常時6ページ建て発行。 | |
平成9年 | 創刊85周年記念事業として、中瀬公園で市民参加イベントを開催。 | |
平成10年 | 制作設備を増強し、本紙の常時8ページ建て発行に移行。 | |
平成12年 | 創刊88周年記念の読者サービス事業としてプロ野球観戦ツアー、日帰り旅行等を開催。 | |
平成14年 | 創刊90周年記念式典を挙行。最新の電子組版システムを導入。 関連の編集入力機器を更新。 | |
平成18年 | 1段10字組の大活字を採用。 現在、石巻市、東松島市、女川町の2市1町における新しいまちづくりを応援しています。 | |
平成22年 | カラー輪転機を導入し、紙面を刷新。 | |
平成23年 | 3.11東日本大震災発生。新聞制作手段を絶たれたなか、被災者に正確な情報を伝えるべく手書きの壁新聞を張り出す。 | |
平成24年 | 創刊100周年。 震災を風化させないため「絆の駅 石巻ニューゼ」開設。 | |
平成26年 | 月刊誌「地域みっちゃく生活情報誌 んだっちゃ!」創刊 | |
令和元年 | 石巻日日新聞紙齢30,000号達成 「絆の駅 石巻ニューゼ」国土交通省震災伝承施設登録 | |
令和2年 | 情報誌んだっちゃ特別版「おとなDAYS」創刊 現在、愛する地域の復興へ向け、新しい地域活動貢献を模索、実行中。 |