終戦から74年 数奇な運命たどった日章旗 平和願い遺族が寄贈
石巻北村の私設資料館
石巻市 社会 石巻日日新聞 2019年8月16日(金) 9時50分終戦から15日で74年。石巻市北村の元女川高校校長、佐々木慶一郎さん(72)宅にある私設の平和資料館には、数奇な運命をたどった展示品がある。石巻市和渕出身の庄子誠吾さんが昭和20年6月1日、ニューギニアで戦死した際に所持し、半世紀近く経って遺族に返還された寄せ書き入りの日章旗だ。約4千点に及ぶ戦争関係の展示品の8割は佐々木さんが自ら収集したものだが、戦死者遺族や戦争体験者が高齢化していく中、「平和教育に役立てて」と寄贈されたものも多い。
庄子家は大農家で、誠吾さんは7人きょうだいの2番目。昭和15年2月に志願して入営し、日中戦争で功を上げている。ニューギニアで日本軍は連合軍に密林へ追い詰められ、飢えと銃弾不足、マラリアで14万の兵のうち生きて帰れたのは1万数千人と地獄の戦場。戦死した誠吾さんは当時25歳で、将校に準じる陸軍准尉にあった。
日章旗はたて約60センチ、横約80センチ。米兵が戦利品として、誠吾さんが身に付けていたのを持ち帰ったとみられる。終戦から48年後の平成5年、北海道から日章旗の返還通知を受けた宮城県が遺族を調査し、旭川市の女性から誠吾さんの兄・誠一さんが暮らす和渕に送られた。
女性は入手経路を知らなかったが、米国人の夫の父親が所持していたようだ。作成されたのは入営前。その当時、召集され軍務に服していた誠一さんは「帰ってきた寄せ書きを見ると、当時を思い出し涙を禁じえない」と手記につづっている。誠一さんは仏前に日章旗を供えて手を合わせ、その後、50回忌の法要も営まれた。
資料館に寄贈の申し出があったのは、10年余りが過ぎた平成16年。誠一さんは家宝として大事にしていたが、高齢になったこともあり、「できるだけ多くの人の目に触れさせ、平和の尊さを後世の人たちに伝えることができたならば、戦死した弟もきっと喜んでくれる」との思いを寄せた。数年後、誠一さんも亡くなり、存命は末の妹だけになっている。
寄贈品には検閲済みの74通の軍事郵便なども。家族や満州で戦う兄への思いのほか、米の豊作の喜びなどがつづられ、とくに農作業の働き手が2人抜けたことに対する心配が何度となく書かれた。「敵と戦って死ぬ」との覚悟も見受けられた。青年学校の恩師が読んだ弔辞では、頭脳明せきで温情をもって接する青年の模範と評されている。
1年かけて手紙に目を通した佐々木さんは「故郷を思いながら、無念の心のまま密林の戦場で草むすしかばねとなった。生きていれば地域のリーダーとして尊敬されていただろう」と思いをはせていた。
戦争を知らない世代が増える中、「世界と交流して生きる次世代には、戦中・戦後の日本のかかわりをしっかりと学習すべき」と主張。資料館を無料開放し、「物言わぬ昭和の証言者」たる展示品を通して、多くの命と引き換えにある平和の尊さを伝えていく。
新着記事
-
石巻市議会定例会は28日の本会議で、追加提案された本年度の補正予算案を審議した。新型コロナウイルスへの対応をただす関...(続きを読む)2020年3月2日(月) 11時05分
-
政府が26日に新型コロナウイルスの感染拡大防止へ今後2週間の催しについて中止・延期または規模縮小を要請したことを受け、...(続きを読む)2020年3月2日(月) 11時03分
-
石巻市は28日、新型コロナウイルス感染症対策本部(本部長・亀山紘市長)の第3回会議を市役所で開き、首相の要請に基づき市...(続きを読む)2020年2月29日(土) 10時58分
-
石巻市議会定例会は27日、本会議で新年度の一般会計など予算案を審議した。予算案に関連して空席となっている第2副市長の選...(続きを読む)2020年2月29日(土) 10時53分
-
石巻市立蛇田小学校は26日、溶接などを手掛ける同市大街道東の(株)宮富士工業(後藤春雄社長)で、ものづくり体験を行った...(続きを読む)2020年2月28日(金) 9時16分
-
地域の未来を考える紙面企画「次代への軌跡」では18日から5回、主に石巻市内の中学校に焦点を当てた「部活動の選択肢」をテ...(続きを読む)2020年2月27日(木) 13時03分
-
東松島市は25日、新型コロナウイルス感染症対策本部会議(本部長・渥美巖市長)を開き、要請を受けた大崎市と涌谷町にマス...(続きを読む)2020年2月27日(木) 10時01分