石巻日日新聞

石巻源流「うまい鮨勘」人々を幸せにする思い

おいしさで満たす心と胃袋

石巻市 政治・経済 阿部 達人 11月16日(木) 14時57分
回転寿司レーンに自ら皿を流す上野敏史社長 (11月1日、県立支援学校女川高等学園)

 国内外に「うまい鮨勘」など31店舗の回転・対面型寿司店を経営する(株)アミノ=本社・仙台市太白区=。鮨勘は仙台を代表するブランドといえるが、初代社長で現会長の上野高正氏(61)と、長男で現社長の敏史氏(36)は石巻市渡波出身。店も市内にあった回転寿司店「すしカントリー」がルーツだ。同社では震災後、社会貢献活動に力を注いでおり、発祥の地である石巻地方でも積極的に取り組む。「よりおいしいものを、より安く」という親子2代のこだわりが地域に笑顔を届けている。

 石巻市松原町出身の高正氏は、修行を積んだ都内の一流寿司店からのれん分けを受けて、25歳で同市緑町に創業。石巻港に近い立地を生かし、自らが仕入れを行うことで、対面型寿司店ながら高品質なネタを明朗会計で提供した。

 その5年後、特許品だった回転レーンを使えるようになったことで、回転寿司業界に進出。石巻市南中里と塩釜市に「すしカントリー」を構え、その本格的な味で好評を得た。

 平成9年には「鮨勘」1号店を仙台市国見ヶ丘にオープン。名前はすしカントリーの愛称だった「すしカン」に漢字を当てたものだ。

 順調に事業を広げていったが、23年に震災が発生。石巻・塩釜魚市場とともに仕入れ先としていた仙台卸売市場に駆けつけた高正氏は、放っておけば腐るだけだった魚をできる限り買い取り、炊き出しに充てた。

 22年9月に石巻で初の鮨勘が開店した矢先の震災。石巻店は内陸の蛇田地区にあったため津波の直接被害は免れた。1週間ほどで水道が復旧すると、店舗前で炊き出しを始めた。豚汁と米だけののり巻き。その程度しか提供することはできなかったが、それでも被災した住民たちにとっては大きな支えとなった。

◆復興祭や植樹を展開

 アミノ2代目の敏史氏は渡波小・中卒。石巻西高2年の頃まで石巻で過ごし、仙台市に移った。

 「実家は長浜海岸のすぐそば。子どもの頃は家から海パンで泳ぎに行っていましたよ」と思い出して笑う。

 思い出深い渡波を発災直後に訪れた際には大きな衝撃を受けた。「亡くした同級生も、両手で数え切れません」。震災時には社員として父、高正氏の姿を見ており、「地元企業として東北の食と胃袋だけは守る。そんな思いだったのでしょう」と振り返る。

 現職に就いたのは24年。それ以降、3月の各店での「復興祭」や、海の恵みをもたらし、次の津波を防ぐ海岸植樹などを展開している。その中心となっているのは「働くことは傍(はた)を楽(らく)にすること」という考えだ。

 「社会貢献といえば格好良いが、商いとは本来、社会の課題を解決するために生まれるものであり、そのために手を組むのが企業」と説く。“傍楽”の理念は代替わりに伴い新たに社是にも取り入れたが、「よりおいしいものを、より安く届けて人々の胃袋を満たす。父が個人経営の寿司屋でしていたことも、社会貢献でしょう」という。

◆寿司の日に振る舞い

 昨年からは寿司職人たちとともに、軽度知的障害の生徒が通う県支援学校女川高等学園を訪問し、移動式レーンでの振る舞いと職業見学の機会を提供している。本年度も11月1日の「全国寿司の日」に実施し、1年生26人と職員に地元産中心の素材を使った寿司1200皿を届けた。

 生徒たちは目の前で職人が握る寿司をほおばると満面の笑み。10月に鮨勘石巻店で現場実習をした谷天涼さん(16)は「一生懸命がんばっているから、おいしいと言ってもらえるんですね」と実感を語った。

 寿司で海の素晴らしさを伝える。海産物の源の木々を守る。食で傷ついた人の心を癒やす。同社はさまざまな思いを持って取り組みを展開するが、企業としての源流は出張回転寿司の終了後の敏史氏の言葉にまとめられる。

 「屈託のない笑顔で喜んでもらえる。飲食はこのためにやるべきですよね」

最終更新:11月17日(金) 10時39分
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