石巻日日新聞

赤井遺跡 新たに材木塀や溝跡発見 蝦夷から守る防御柵と確定

第47次川前 地区発掘調査

東松島市 教育・文化 石巻日日新聞 2017年12月15日(金) 19時11分
広大な遺跡の周辺を囲む木材塀跡や溝跡が見つかった赤井遺跡

 東松島市教育委員会は14日、赤井遺跡の第47次川前地区発掘調査成果の報道説明会を開いた。遺跡南東側の川前地区で、遺跡を囲む防御施設とみられる材木塀や溝跡などが見つかり、「蝦夷(えみし)の反乱に対する軍事施設『牡鹿柵(おしかのさく)』の機能を持った遺跡であることが明らかになった」と発表した。16日午前11時―正午には解説付きの現地説明会、17日午前10時―午後3時には遺跡見学会を行う。

 赤井遺跡は飛鳥時代末期から平安時代初頭まで営まれた古代牡鹿郡(現在の石巻地方)の遺跡。昭和61年から発掘が始まり、役所機能を持つ「牡鹿郡家(おしかぐうけ)」や、豪族の居宅跡、また遺跡を守る城柵「牡鹿柵」などが置かれた地と推定されてきた。範囲は東西約1.7キロ、南北約1キロの比較的広範囲で、浜堤上標高2メートル前後の低地帯に立地している。

 川前地区で行われた第47次調査では、直径20センチ前後の丸柱材を東西約120メートルにわたり隙間なく立て並べた材木塀跡が3条(列)発見されたほか、塀跡と同じ方向にまっすぐに掘られた溝跡も3条見つかった。

 これらは赤井遺跡の縁辺を囲む柵と想定され、3回にわたり同じ場所で建替えられたと考えられるという。また材木塀跡のさらに上の層からは10世紀初頭に降り積もったと思われる火山灰も見つかり、これら材木塀や溝跡が古代遺跡であることも証明された。

 市教委は「遺跡を囲むように並んだ塀や溝がこれだけ大規模に見つかったのは初めて」と語り、「遺跡は奈良時代から平安時代初めにかけて北方の蝦夷と対峙する国家施設として設置され、蝦夷の反乱に備えるため長期間にわたって塀や溝などの防御施設を維持していたことが分かった」と成果を述べた。

 市教委は赤井遺跡を東北の古代史上重要な遺跡と位置づけ、国の史跡指定に向けた準備も進めていくという。

最終更新:2017年12月15日(金) 19時11分

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