石巻日日新聞

【投稿】いのち尽きなんとする樹に想う

石巻市 社会 石巻日日新聞 1月17日(水) 11時38分
石巻駅前の変遷を見続けてきた市役所前のヒマラヤ杉

 今伐られようとしている1本の樹がある。石巻市役所北側玄関前のヒマラヤ杉である。樹齢70、80年ぐらいだろう言う人もいれば、100年は経っていると言う人もいる。

 以前、駅前広場だった頃、その東南隅に公衆便所があり、その入り口を隠すように低い5、6本の杉の木かなんかの端にあったところから昭和3年、国鉄になる前の宮城電鉄が石巻まで開通した記念に植えられたのかもしれない。だとすると、今年で90年。長い間、街の様子、人の往来、とりわけ変貌の激しい駅前の光景をじっと見てきたことになる。

 70年前の夏の日、甲子園へ出発する石巻高の野球選手たちと、戦後の食糧不足から米や野菜など持参で応援に行く人、そしてそれを見送る広場に溢れるほどの市民の熱気も感じていたに違いない。1番くじを引いた石川喜一郎主将が選手宣誓をした開会式直後の第1試合で、満員の大観衆と地元に近い相手校の応援団の大歓声で途中まで無我夢中。やっと雰囲気に慣れて猛反撃したが及ばず、敗れて帰ってきた時の大勢の人たちの温かい出迎えも見ていたはずである。

 戦後活発になった労働争議。電車駅に隣接していた日本通運(通称丸通)の前で頻繁に行われていた街頭演説やシュプレヒコールも聞いていただろう。

 丸通といえば駅での貨車扱いのほか近距離の陸上運搬に馬車を使用していた時期があり、駅舎の南側の穀町内にあった社宅の一角に馬小屋があったのを覚えている。朝に夕に首を振りながら馬車を引いて広場を横切っていく馬たちをこの樹は眺めていたような気がする。

 そして川開き。昭和30年代半ばから40年代にかけて、小野・矢本方面からのお客さんで鈴なりになった電車が着くたびの駅前広場の雑踏。そして帰る時間には何本もの臨時電車のため深夜まで案内・誘導のスピーカーで眠れなかったのではないだろうか。

 当時石巻へ来る著名人、芸能人も仙石線を利用することが多かった。ある時、人だかりに寄ってみたら、あの日活の〝マイトガイ〟、小林旭の白いダブルの背広姿があった。〝元気なあんちゃん〟ぐらいのイメージしかなかったのに今とあまり変わりなく、物静かで一種の風格さえ感じられたのは意外だった。その時々、この樹はどんな有名人を見下ろしていたのか。

 平成元年に始まった駅舎統合と市の駅周辺の都市計画で風景は一変する。樹のそばを流れていた「おおまさ堀」は蓋をされて歩道になり、駅舎はもちろん電車ホーム南側に連なって建っていた国鉄の官舎もすべて撤去された。それでもこの樹は根元を大事に養生され残されてきた。

 平成8年、石巻ビブレ(後のさくら野百貨店)がオープンし、やがて樹の真向かいに立町から3代目の交番も移ってきた。ある年の暮れ、さくら野の駅側入り口の庇(ひさし)の上にサンタクロースが飾られ、それに合わせてこの樹もイルミネーションでお化粧され華やかな歳末の駅前風景を演出したこともあった。

 東日本大震災では、渡した板を橋がわりにしなければならないほど押し寄せた海水にも耐えた樹は今、石巻南浜津波復興祈念公園構想に関わっている造園家の涌井雅之さんの設計で、石巻信用金庫80周年記念で造った松と石で船を模した植え込みと絶妙なコントラストのたたずまいを見せている。

 パワーを与えてくれるよう伸びやかに聳(そび)え、樹形も良く、ビル風を受け流しながら暑い夏には緑陰をもたらし、駅で乗降する人たちや、市役所や市立病院の行き帰りの人々の心を和ませている。枯葉を撒き散らすわけでもなく、ペデストリアンデッキとの組み合わせでいい絵になるのではないだろうか。

 しかし生命力が溢れる樹も人の手にはかなわない。長い年月をかけて成長したものを一度失ったら金で贖(あがな)うことはできない。樹にも魂が宿ると言われているが、生き長らえさせる智恵を持っている人はいないのだろうか。

 知ってか知らずかヒマラヤ杉は、今日も寒風の中に立っている。

(石巻市在住 樹憂子)

最終更新:1月17日(水) 11時38分
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