石巻Days(石巻日日新聞社公式)

東北・宮城県の地域新聞社が運営しています。日刊「石巻日日新聞」、月刊「情報誌んだっちゃ…

石巻Days(石巻日日新聞社公式)

東北・宮城県の地域新聞社が運営しています。日刊「石巻日日新聞」、月刊「情報誌んだっちゃ」などから、地元はもちろん、全国の方にも知ってほしい地域の話題や、とっておきの過去記事を発信しています。お客さんを連れて行きたいグルメページも盛りだくさん!フォローをよろしくお願いいたします。

マガジン

  • 石巻日日新聞

    石巻市・東松島市・女川町の話題を掲載している夕刊紙「石巻日日新聞」のnote版マガジンです。とっておきの地域情報と過去記事などのアーカイブ。無料と有料記事があります。ぜひぜひフォローをよろしくお願いいたします。

  • 石巻Re-Create

    東日本大震災から12年が過ぎた。被災と復興事業はかつての風景や日常生活を大きく変えており、その変化に向き合う必要性も出てきた。「石巻Re―Create」は、建築家で芝浦工業大学教授の谷口大造さんによる連載。都市や景観の計画づくりにも携わる谷口さんが毎回、キーワードを設定し、幼少期から高校時代を過ごした古里・石巻地方のまちづくりの可能性を探る。石巻日日新聞では4月から毎月第4月曜日に掲載(全12回)。

  • 語り継ぐ3.11(2024年)

    関連死、行方不明者を含めて石巻地方で約6千人、全国で2万人以上が犠牲となった東日本大震災から、11日で13年になる。何かを失った悲しさや悔しさ、全国からの励まし、生きる希望。それらが全て、次の命を守ることにつながる。決して忘れてはいけない、あの日のこととこれまでの歩み。さまざまな人の「語り継ぐ3・11」をつむぐ。

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    『震災前の石巻』2002-2011

    A5縦サイズ、80ページ、モノクロ、左綴じ 撮影者、竹内敏恭氏、日本リアリズム写真集団(千葉支部)所属、東京都在住。妻の実家が石巻にあり、2002より漁船・漁港の色合いが薄れていくこの町と旧漁港の周辺を写真に残したいと取り始め、10年間撮りためた写真で、2011年4月に東京の新宿と池袋のギャラリーで写真展を計画、3月11日の東日本大震災が発災しました。写真展は予定通り開催でき、たくさんの方が訪れました。天災とはいえ、つい昨日までの日常、今日も当然続いているはずの「今」があり、そして大津波がなければ当然「今でも」続いている光景。これらの写真が、石巻の歴史と記憶の一旦を少しでも埋めることができれば・・・。
    1,500円
    石巻日日新聞オンラインストア
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    明治 大正 昭和 石巻の繪葉書

    A4版左綴じ全60ページカラー版です。 東日本大震災で、貴重な郷土の古地図や古い写真等の資料を喪失した反省と新たな資料伝承を目的に郷土史愛好家有志で立ち上げた石巻アーカイブ。 今回、研究の中で古い写真資料は、古い絵はがきが出典元になっていることが多いことから、会員の収集保管している絵はがき600点をデジタル化し新たに収蔵しました。その中から、石巻地方の歴史が見える約240点を一冊にまとめました。
    1,800円
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    『震災前の石巻』2002-2011

    A5縦サイズ、80ページ、モノクロ、左綴じ 撮影者、竹内敏恭氏、日本リアリズム写真集団(千葉支部)所属、東京都在住。妻の実家が石巻にあり、2002より漁船・漁港の色合いが薄れていくこの町と旧漁港の周辺を写真に残したいと取り始め、10年間撮りためた写真で、2011年4月に東京の新宿と池袋のギャラリーで写真展を計画、3月11日の東日本大震災が発災しました。写真展は予定通り開催でき、たくさんの方が訪れました。天災とはいえ、つい昨日までの日常、今日も当然続いているはずの「今」があり、そして大津波がなければ当然「今でも」続いている光景。これらの写真が、石巻の歴史と記憶の一旦を少しでも埋めることができれば・・・。
    1,500円
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    明治 大正 昭和 石巻の繪葉書

    A4版左綴じ全60ページカラー版です。 東日本大震災で、貴重な郷土の古地図や古い写真等の資料を喪失した反省と新たな資料伝承を目的に郷土史愛好家有志で立ち上げた石巻アーカイブ。 今回、研究の中で古い写真資料は、古い絵はがきが出典元になっていることが多いことから、会員の収集保管している絵はがき600点をデジタル化し新たに収蔵しました。その中から、石巻地方の歴史が見える約240点を一冊にまとめました。
    1,800円
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    手描きの魚類図鑑 お魚あれこれ

    156種類の水彩画と充実した解説を掲載した「手描きの魚類図鑑」です。 夕食に食べた魚やテレビやスーパーで見かけた魚、もっと詳しく知ってみたいと思うことはありませんか。お魚にちょっと興味が沸いたとき、気軽に利用できるお魚図鑑です。 魚種別に、体の色や作りをはじめ、どんな海域に住んでいるか生態や分布を紹介しているほか、どんな料理にあうかなど、余話もまじえて紹介しています。あざやかに描かれた魚たちを観察して特徴を楽しく学べます。
    1,650円
    石巻日日新聞オンラインストア
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最近の記事

食と音楽で福呼び込む おながわ春のまつり

 「おながわ春のまつり2024」(同実行委主催)が23―24日、女川駅前商店街などで開かれた。23日は高台避難の大切さを後世に伝える坂道競走「津波伝承女川復幸男」を実施し、24日は町まちなか交流館の野外特設ステージを主会場に本祭を展開。地域内外から多くの人が訪れ、食や歌を楽しんだ。  同まつりは、震災後9年間にわたって実施した地域活性化イベント「女川町復幸祭」が前身。同祭の意思を継ぐ催しとして昨年「おながわ春のまつり」がスタートし、今回で2回目となった。  開会式で鈴木康

    • 仮想のまちでお仕事体験

      東松島で初・キミいろタウン 社会学び地域に愛着  子どもが主役のまちづくり体験「キミいろタウン」が24日、東松島市の矢本西市民センターで行われた。自ら運営する仮想のまちで働き、報酬で得た疑似通貨で買い物を楽しみつつ社会の仕組みを学ぶプログラム。同市で初開催とあり、子どもたちはさまざまな職種の経営者となって働くことの意義を学び、地域への愛着を深めた。  イベントは同市で活動するNPO法人いろどり・みんなのみち(浅野和久代表理事)の主催。団体は本年度、子ども実行委員会を立ち上

      • 第12回 がんばっぺ

         13年前のあの日、私は東京の大学にいました。テレビのニュースでは牡鹿半島沖を震源とする巨大地震であることや、大津波が発生していることが伝えられていました。その頃の私は半年前に北海道に在住していた弟が急逝したこともあり、メンタル的に弱っていた時期でしたので、この大震災は深い絶望感にとらわれるものでした。当然、直接被災された方々の衝撃は、想像を絶することだったのではないかと思います。 復興過程は3段階

        • 半世紀経て全線開通 七窪蛇田線が供用

          線路越え市街地結ぶ橋  石巻駅から約600㍍西側のJR線をまたぐ山下中里高架橋の開通式が25日、現地で行われた。これにより、昭和41年3月に決定された都市計画道路「七窪蛇田線」は、58年の時を越えて全線開通。線路で分断された市街地間が行き来しやすくなり、交通量を分散させることで水押踏切を中心とした駅周辺の混雑解消や災害時の避難路、緊急輸送路としての効果が期待される。  七窪蛇田線は、かつて七窪の地名があった石巻市山下町二丁目の国道398号を起点とし、蛇田字新下沼の国道45

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        • 石巻日日新聞
          1,640本
        • 石巻Re-Create
          12本
          ¥300
        • 語り継ぐ3.11(2024年)
          10本
        • 「はまにて」 牡鹿半島 移住者の営み
          12本
          ¥300
        • いしのまきSDGsマガジン
          4本
        • 石巻・東松島・女川のグルメ紹介 観光客にもピッタリ!
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        記事

          石巻地方の教員人事 小中学校270人異動

          復興加配は減少の一途  県教育委員会は22日、令和6年度教職員人事異動を発表した。東部教育事務所管内の石巻地方は、退職者を除く小中学校の異動が前年度比9人増の270人。教職員の段階的な定年の引き上げで定年退職者はおらず、役職定年による校長から教員職への異動が目立った。(石巻日日新聞 3/22(金)3面に名簿掲載)  管理職の異動は、校長24人(小学校17人、中学校7人)、教頭26人(小学校17人、中学校9人)。このうち小学校長は9人が転任し、8人が新任。石巻市の旧市内は、

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          塾通わず東大に現役合格

          石巻高で7年ぶり 稲井中出身の水野漣さん  石巻高校(須田一憲校長・生徒601人)の本年度卒業生、水野漣さん(18)=稲井中学校出身=が東京大学の理科二類に現役で合格した。同校からの東大現役合格は平成29年の入試以来7年ぶり。普段の学習の積み重ねが実を結び、学習塾などに通うことなく試験を通過した。  東大を進路に選んだのは3年の夏ごろ。同大学では、おおよそが1―2年時を教養学部で学び、その成績と本人の希望で3―4年時の学部が決まる。宇宙工学や理論物理学、薬学など複数の学問

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          「今の石巻の姿伝えたい」 椋木りあんさん

          震災報道に違和感覚え  上智大学2年生の椋木りあんさん=東京都豊島区=は、発災当時小学1年生だった。母方のそう祖父母や親戚が石巻市相野谷に住んでおり、現在に至るまで何度も石巻に足を運んできた。椋木さんは現在、大学でドキュメンタリー制作などを通してメディアを学んでいる。東日本大震災への思いが学びの動機付けになっており「卒業後は、石巻の現在を伝える報道に携わりたい」と夢を抱く。  発災時は、都内の自宅でおやつを食べていた。強い揺れが発生すると母親から「机の下にもぐっていて」と

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          「守るべきはまず自分の命」 小海途玖実さん

          津波で親友2人が犠牲  女川中学校の音楽教師、小海途玖実さんは女川町出身。発災当時は浦宿浜にあった女川第一小学校(現在は閉校)の5年生だった。家族は無事だったが、同級生2人を津波で亡くした。「教え子たちにつらい思いはさせたくない」。震災を知らない世代に出来事を伝え、命の尊さを訴える。  13年前、図書委員会活動で友人と図書室にいた時、激しい揺れに襲われた。本棚が次々と倒れ、教員がすぐ校庭に避難するよう児童に指示した。「恐怖に手が震え、なかなか外靴が履けなかったことを覚えて

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          「津波はにくいが海は宝」 亀山輝雄さん

          集落の世話役として奔走  漁業をなりわいとした石巻市渡波の佐須浜は、津波で大きな被害を受け、亀山輝雄さんは避難した人たちの世話役として奔走した。これまで震災を語ることを避けてきた亀山さん。風化が心配される中、「あの時は泣いだ。何にもなくなって、これからのことを考えると涙が出た」と向き合った。  3月はカキの出荷も終わり、来季へ準備し始める時期。亀山さんは13年前、湊地区にあった歯科医院の診察台に乗った時、大地震に遭った。機器が倒れ、歯科助手の女性が泣く院内で亀山さんは言う

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          「一閃連働」でJFLへ 始動 コバルトーレ女川

           東北社会人サッカーリーグ1部のコバルトーレ女川は9日、今シーズンの新体制を発表する「キックオフパーティー」を女川町まちなか交流館で開いた。新入団4人を含む選手25人や葛野昌宏監督(48)らが出席。集まった自治体やスポンサー企業関係者ら約60人にJFL復帰を誓い、一層の応援を呼び掛けた。  今年のチームスローガンは「一閃連働」。攻守の起点となる選手の閃きにチーム全員が「連働」してゴールを奪うという思いを込めた。ホームタウン代表のあいさつで女川町の須田善明町長が「JFL復帰へ

          「一閃連働」でJFLへ 始動 コバルトーレ女川

          続けることで原動力に

          「いのちの石碑」建立メンバー 母校の女川中で講演  自然災害や津波から1千年先の命を守るため、女川町内に21基の「いのちの石碑」を建立した東日本大震災当時の中学生。そのメンバーが11日、女川中学校で震災を考える講演を開き、1―2年生70人が受講した。震災の記憶を風化させることなく、後世につないでいく大切さを学んだ。  石碑建立は、発災直後、女川一中(今の女川中)の1年生(現在24―25歳)が取り組んだ伝承活動。町内21カ所の浜の津波到達地点より高い場所に石碑を建て「有事は

          はまにて 第12回(最終回) 「海のように」

           約2年前に念願だった漁業権を取得してから、夫はほとんど休まず海に出てきました。手探りで始めたシャコエビ漁もアナゴ漁もタコ漁も、ちょっと急ぎ過ぎじゃないかと思うくらいどんどん網やカゴの数を増やして、普通は2人がかりで揚げるような数のカゴを1人で揚げ、朝早くから暗くなるまで、土曜も日曜もなく。

          はまにて 第12回(最終回) 「海のように」

          「獣道含め有事の道を念頭に」 木島新一さん

          チリ津波の経験生かす  東松島市宮戸の木島新一さんは、海抜12㍍の高台にある自宅で東日本大震災を経験した。平時から木島さんの家は有事に避難場所とすることを地域内で決めており、津波の襲来を予見した木島さんは、より高台に避難できるよう草刈り機を持って裏山へ。雑木を除去して簡易的な避難路を確保した。  「これまで一番印象に残っていたのは、小学校4年の時に経験したチリ津波。朝食を食べている時に『ゴォーバリバリ』と堤防を越えて押し寄せる音が聞こえた。裏山に避難し、何度も押し寄せる津

          「獣道含め有事の道を念頭に」 木島新一さん

          震災13年 故人に心寄せ 記憶つなぐ

          思い風に乗せ 大空へ  東日本大震災の発生から13年の11日、約6千人が犠牲となった石巻地方は深い祈りに包まれた。手を合わせて涙を浮かべる人、歩んだ月日とともに気持ちの整理に踏み出す人。それぞれの過ごし方で故人や当時の風景を思い起こし、心を寄せながら震災を知らない世代に記憶をつないだ。  石巻南浜津波復興祈念公園では「がんばろう!石巻」看板の前で市民有志の追悼行事「3・11のつどい」が開かれ、石巻市の犠牲者数に合わせて約4千個の灯籠が並んだ。  「毎日を大切に。震災の記

          震災13年 故人に心寄せ 記憶つなぐ

          東日本大震災から13年 名を取り戻し帰るべきところへ

          身元不明の遺骨27柱  2万2千人を超す犠牲者を出した東日本大震災から11日で丸13年となった。描いたまちの将来像は復興という形で具現化され、にぎわいも戻った。あの日を物語る場所は少なくなったが、失われた命の重さは年月を重ねても変わることはない。  暮らしと営みが一瞬で奪われ、大切な人を失った。生きたくても生きられなかった無念の命があった。「どうしていますか」と心で問う。在りし日の面影を浮かべ、深く祈る。今を生きる私たちだからこそ、できることはある。  石巻市南境の第二

          東日本大震災から13年 名を取り戻し帰るべきところへ

          石巻市田道町「はやしのとうふ」復活

          手づくりの味に原点回帰  「はやしのとうふ」で石巻市民に親しまれた㈱林食品(林貞一郎社長)=同市田道町一丁目=。経営悪化で昨年廃業したが、長男の伸和さん(41)が商品名を引き継ぎ、個人事業主として「はやしのとうふ」を復活させた。昔ながらの手づくりで高品質な豆腐作りに原点回帰しており、懐かしさと味わい深さでファンを増やしている。  創業115年の「はやしのとうふ」は、石巻市内のスーパーなどで豆腐を販売し、市民に親しまれてきた。その後、大手メーカーの台頭や材料費高騰、輸送費の

          石巻市田道町「はやしのとうふ」復活